航空公園のトピックス(2009年3月15日)
航空記念公園内史跡めぐり
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所沢航空資料調査収集する会で、所沢航空記念公園内に残る日本の航空の幕あけとなった史跡をめぐるツアーが開催されましたので、参加いたしました。
その時の様子を報告します。
所沢航空資料調査収集する会は、所沢市役所内に事務局があり、所沢における日本の航空発祥の地に関連する資料の調査収集を昭和47年12月から活動している団体です。
ツアーでは、戦前の所沢飛行学校を卒業した方が、実体験に基づいてその当時の様子を説明され、いままで判ったつもりで見ていた史跡でも初めて聞くことが沢山あり、とても有意義でした。
所沢の航空史に関する記録と記憶は、そのままでは時間とともに散逸していきますので、後世に伝えていかなければならないことが沢山あることを改めて認識しました。
■行程
| YS−11 | ![]() |
戦後初の国産旅客機YS-11の紹介から史跡めぐりが開始されました。 YS−11は駅前にあるので、史跡としてではなく、集合場所としての役割でしょうが、作られておよそ40年になってきているので徐々に史跡になってきています。 普通、柵から中には入れませんが、今回は機内にも入ることができました。 |
| 沈床茶園の通路 | ![]() |
航空公園駅から航空公園に入ってすぐのところにある沈床茶園の通路が明治44年所沢飛行場開設時の滑走路で、その横の少し小高くなっているところ(左の写真の所)が、飛行場の気象観測所であった。 |
| 大正天皇 駐輦の碑 (ちゅうれんのひ) |
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お茶室(彩翔亭)の前の林の中にある碑文です。 大正元年11月17日に行われた陸軍特別大演習に、大正天皇が所沢飛行場の飛行演習総監で、来場の際の記念に建立されました。 もともとは、現在、彩翔亭の建っているところににありましたが、1997年に、道の反対側に移設されました。 彩翔亭の前の通路は、現在は、木陰の通路ですが、以前は、所沢飛行場へのメイン通路であったため、通路の横に碑が設置されていたそうです。 この通路は、以前は桜並木だったとのことですが、現在は、数本残っている程度になっています。 |
| フォール大佐像 | ![]() |
航空技術の指導のため、大正8年1月から15ヶ月にもわたり、来日した60名のフランス航空団の団長、フォール大佐の胸像です。 この指導により、日本の航空技術や航空工業は飛躍的に発展し、多大な功績があったとのことで、昭和3年4月に胸像が建立されました。 この胸像は、戦後の混乱期に行方不明となってしまったのを、多くの関係者の努力で、原形が残されていたのを見つけ、昭和57年に復元したものです。 |
| 放送塔の下の通路 | ![]() |
このあたりに、飛行船用の長さ100m、高さ20mの巨大な格納庫があったとのこと。 飛行船は、水素を使っていたため、昭和に入って次第に使われなくなり、第二次世界大戦時には秘密裏に落下傘訓練施設となっていたそうです。第二次世界大戦の昭和17年のスマトラ島(インドネシア)パレンバンで最初におこなった落下傘降下した際の最初の秘密訓練施設だったようです。 |
| 木村・徳田 両中尉記念塔 |
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大正2年3月28日、東京青山練兵場で行われた、飛行演習に、飛行船と3機の飛行機が参加しましたが、所沢飛行場への帰還の際、飛行場目前で、木村・徳田両中尉が搭乗したブレリオ機が強風により墜落。墜落地点にわが国最初の航空犠牲者となった両中尉の記念塔が大正3年に建立されました。 墜落地点は、現在地から1500m離れた地点で、以前は交通が不便であったため、転々と移設されていましたが、昭和55年に現在の地に設置されました。 |
| 少年飛行兵 の像 |
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操縦・整備・通信の3人の少年飛行兵の像で、彫刻家故長沼孝三氏(1908〜1993)の昭和18年の作品。 平成17年11月に道の反対側の林の中から移設しています。 もともと、ここの場所に、建空神社があり、その参道に建立されてた像で、神社や参道が無くなり、林の中に残されたままになって見えなかったので移設したそうです。 |
| C-46型輸送機 ・航空発祥記念碑 |
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入間基地で使用されていた、C−46A輸送機と航空発祥記念の碑です。 所沢航空発祥記念館の前に設置してあり、この地が航空発祥の記念となる地であることを示しています。 この石は、所沢飛行学校の中庭に置かれていた石だったそうです。 |
| 所沢航空発祥記念館館内見学 所沢航空発祥記念館大型映像館 |
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航空公園内を一通り、見たあと、所沢航空発祥記念館の中の、歴史資産を学芸員の方の説明で見学しました。 左上は、明治44年10月、所沢飛行場で飛んだ日本初の国産軍用機、会式一号飛行機です。この機体は、図面をもとに作成されたレプリカですが、完成度の高さから、平成14年に産業考古学会によって、「推薦産業遺産」に認定されています。 右上は、所沢飛行場で飛行した、フランス製のニューポール81E2型。この機体はレプリカですが、実機の残骸も展示されており、埼玉県出身の民間操縦士 岩田正夫氏が個人所有していた機体で、大正15年郷土訪問飛行した際、破損したため、そのまま置かれ、埼玉県比企郡都幾川村の慈光寺で、そのまま保管されていたものです。 左下は、九一式戦闘機で、中島飛行機が設計し、昭和6年に旧日本陸軍が正式採用した当時世界水準の戦闘機です。 日本の戦前の航空機は、終戦ですべて廃棄や接収されているため、これらの残った機体は大変貴重だとのことでした。 |