「(ENDLESS)SUMMER NUDE」(9/20)
真心ブラザーズ 1998
T0P/KINKYO
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中学生の頃意味を問う問題がよく国語の試験で出た言葉、「気のおけない」というのがある。友達にしろ、恋人にしろそんな人の一人や二人、周りを見渡してみるといるもんである。もっとも、近年はそれを見つけることができなくて悩んでいる人々も沢山いるようなのだが。音楽にもそういうのがあると思うのだ。嬉しいときとか悲しいときとか、ここぞという時に聴きたくなるアーティストや曲、聴くたびに考えさせられてしまったりする曲、なぜか歌詞カードを見ながら聴いてしまう曲、スピーカーの前に正座したくなる曲、こういうのは、ある意味自分の日常にはフィットしていなかったりする。好きだけど、「気のおけない」とはちょっと違う、特別な存在である。かといってあまりにも日常的に、ながらで聴いても違和感のないものは、「気のおけない」の範疇を通り越してしまっている気がする。空気のような存在であれば、スーパーで流れている「ちょっと前」のJ-POPのヒット曲(しかもミエミエMIDIのインストゥルメンタル)まで気のおけない存在になってしまう。好きで聴くなら、いくら日常にフィットしても、何がしか引っかかるものが欲しい。
エッと思う人もおられるだろうが、僕にとって真心ブラザーズは、とてもいい感じで気のおけないアーティストである。ふざけとマジ、かっこよさとかっこ悪さがとても絶妙なバランスで成り立っている。それは、彼らの書く楽曲の性質やクオリティといった要素にとどまらない。倉持”YO-KING”陽一の抑揚に欠けながらなぜかドラマチック、かつ艶のない声であったり、桜井秀俊のヘタウマで情けない歌唱であったりする。とんでもなく馬鹿馬鹿しい歌詞を精一杯かっこいいアレンジで飾ってみたり、たまに本気でダサかったりする。ヴィジュアル的にも、二人並んだその姿は十分な親しみやすさを醸し出すような垢抜けなさ加減だが、しかしPVなどで音楽をバックに現れる彼らはしかし、最高に絵になっている。特に、「拝啓、ジョン・レノン」のPVはかっこよかった。
「ENDLESS SUMMER NUDE」は「サマーヌード」のリアレンジ版だが、もともとの楽曲のキャッチーさはもとより、ホーンセクションを巧みに使ったアレンジには、「本気でかっこいい真心」を見せられたような気がして、ちょっと嬉しくなり、しかしこれはモデルチェンジということかと、考えてしまったのも事実だ。実際、この予想というか危惧というか期待というかそういうものは、半分当たって半分外れたという感じなのだが、時を少し経て、しかも収録されている「I Will Survive」の一曲として聴いてみると、紛れもない真心サウンドであるのだが。この曲に初めて出会ったときは、「Shangri-ra」をもって久しぶりに電気GROOVEとニアミスした時のような印象を持った。「気のおけない」人の脱皮は、自分にとって刺激であり、喜びであり、寂しさである。なにかこう、取り残されてしまったような気もして、意味なく焦ったりもする。そして、アルバムなら他の曲を聴いて、やっぱり変わってないんじゃん、と安心したりもする。
倉持が作る曲も、桜井が作る曲も、そこそこキャッチーで、メロディーに乗る歌詞は語彙が豊富で中身が濃い。アルバムは2色に分かれつつ妙な連帯感とそれぞれの個を一度に感じさせる。シャウトする倉持、ギターを奏でる桜井、ミュージシャンとして最高に絵になっている。過去のアルバムを聴いてみても、捨てアルバムが少ない。セールスとして表に出てはいないが、シングルでリリースされる曲もまた、このタイプのアーティストには珍しく粒ぞろいだ。しかし、彼らから「アートな風」は一向に吹いてこない。彼らがリスナーにより近いところに立っているからなのか、どこからともなく「アートっぽい」彼らを誉めること自体陳腐であるというオーラが漂っているのか、よく分からないが、なんとなくCDの棚にそろえておいて、いつともなく聴きたくなる「気のおけない」アーティストである。
ぶんせきは
KENTARO