「INVINCIBLE」 (11/22)
Michael Jackson 2001
T0P/KINKYO / BACKNUMBERS /


もう日本には、マイケル・ジャクソンは必要ないのかもしれない。マイケル・ジャクソンが6年の沈黙を破って発表したアルバムは、まさに「Invincible」であった。彼は今年43歳。声の衰えや数々のスキャンダル、「スリラー」等の大ヒットを飛ばした昔日の姿ははや幻かと囁かれ続けてきた。そのファンやメディアの雑音は、結果 的にこのアルバムを聴く限り「取越し苦労」であり「杞憂」であり、余計なお世話であったようだ。マイケル・ジャクソンの声の美しさ、どの曲をシングルカットしても良い程粒ぞろいなラインナップとそれを支える楽曲の構成力、そして今は亡きNotorious B.I.G.やR. Kerry、BabyfaceやCarlos Santana、David Foster、そしてRodney Jerkinsらの豪華なバックアップ陣、まさに「Invincible」だ。

「Dangerous」の進化系ともとれるこのアルバムでは、6年の歳月を経て、まさに格の違う、本物のEntertainerぶりをマイケルは見せてくれた。ディスクをトレイに乗せ、Playのボタンを押すとみなぎるエネルギーで押しつぶされそうになる、クオリティの高いアルバムだ。昔日のマイケルの姿を思い浮かべつつ6年待った辛抱強いマイケルのファンにはこのアルバム、拍手喝采で迎えられたことだと思う。しかし、もう日本には、マイケル・ジャクソンは必要ないのかもしれない。

M1の「UNBREKABLE」から、壊されることないマイケルのパワーは疾走し始めて止められない。「歌と踊り」の非凡さ故にスーパースターの座を手にしたマイケルの、表現力豊かなヴォーカルはまったく失われていない。むしろ、昔日に比べて遥かに表現力が増したかのようだ。M3の「INVINCIBLE」まで、キャッチーなダンス・チューンで突っ走った後のM4「BREAK OF DAWN」で見せる和声感はマイケル・ジャクソンならではの幅の広さだ。

優しさをたたえたマイケルの声は、M8「SPEECHLESS」で頂点を迎える。一転してクラシカルなアレンジの中、優しく、朗々と唄うマイケルの声は、「Heal the world」で聴いた優しいヴォーカルよりさらに質感を増している。コーラスとのマッチングはマイケルの声質を最大限生かし切り、また組曲にも似た、楽曲の構成の巧みさも見逃せない。アルバム総体を通 して言うと、優しさのマイケル、激しさ・ポップさのマイケル、それを絶妙なバランスで織りまぜてゆく曲順も飽きさせない。シャッフルプレイは歓迎しない。1曲目から16曲目まで通 して聴きたくなる。そしてポップなマイケルM16「THREATENED」で締めてみせる、さすがだ。

その昔、「スリラー」はミリオン・ヒットとなった。マイケルの知名度は飛躍的にあがり、ポップ・シーンとは無縁のおじさん達まで「マイケルジャクソン」の名前を衒いもなく言い放つまでになった。藤子・F・不二雄は「ドラえもん」のなかに、大物外タレとしてマイケルを「ジャイケル・マクソン」といういかにもなネーミングで登場させている。そのくらいのセンセーションだったのだ。そして、昔日のアルバムを今聴き返してみても、その卓越したヴォーカル、ポップさ、そして映像で見ることができる踊り、どれをとってもまごうかたなき超一流のエンターティナーである。しかしながら、そのセンセーションには同時に、どうしてあんなに色が白くなったのか、とか、例の幼児(少年?)虐待疑惑などのゴシップ性や、ムーンウォークを真似る人があまた現れるなどの色モノ性も大きく作用していたと思う。センセーショナルなマイケル・ジャクソンは、本物でありながらどこか色モノっぽかった。

「Invincible」は素晴らしいアルバムだと思う。どれが本物という定義はあまりしたくはないが、マイケル・ジャクソンのOnly Oneがいかんなく発揮されている。ポップである。しかし、クオリティがどれだけ高かろうとも、ムーンウォークの真似をしてはしゃいでいる奴は、もうどこにもいないのだ。

「Invincible」は10月29日に日本で先行発売された。先週付けまでのチャートでは23位 、最高位5位、10万枚そこそこのセールスである。このアルバムの出来とセールスと、時の流れを見つめてなにやら歯がゆい気分になってしまう。マイケルの投じた渾身のストレートは、単なるノスタルジイのはけ口に成り下がってしまうのか。やはり、もう日本には、マイケル・ジャクソンは必要ないのだろうか。



ぶんせきは
KENTARO