「Solitude」(11/22)
大江千里 2000
T0P/KINKYO
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いささか逆説的になるが、男とは女っぽいもので、女とは男っぽいものだ。互いの性が、互いを指摘し合い、時に非難し合い、嘆き合い。男にとって見れば、「幻想」とも言われかねない「男らしさ」を求め、そして自分の求めている男らしさにそぐわない場合、「女々しい」などと勝手に判断するのは女。そしてもちろん、逆もまた然りである。男の女っぽさをよく知っているのは女、女の男っぽさをよく知っているのは男。
そんなことを思うにつけ、僕は大江千里の作品群というのは面白いと思う。僕は男であり、男の女々しさは、自分のことを省みることは出来こそすれ、客観的に見ることなど無いはずなのだが、彼の唄のなかには、それを疑似体験させてくれるものがある。男らしさ、強さ、女らしさ、健気さ、そんな反吐の出るようなステロタイプな要素のレベルメーターの匙加減を微妙に変化させて、彼は数々の曲を世に出している、そんな感じだ。同じ男として、彼の唄に感傷を感じることはあっても、共感はない。自分を投影することは出来ないのだが、「男というもののカタログ」を、僕が男であることを忘れながら見せられている、不思議な思いを感じるのだ。
実に久しぶりのアルバム。独自のレーベルを立ち上げ、心機一転の新生大江千里かと思いきや、このアルバムを聴いた感想は、紛れも無い大江千里を見せられたこと、そういう思いがもっとも強い。さすがに彼も40の声を聞くと、以前にあった「若さ」の部分は失われ、「オトナ」の匂いが濃くなっているかと思いきや、そうでもない。年齢を感じさせないのではなく、年齢を超えてしまっている1枚になっている。せいぜい、このアルバムにそうした「経年変化による落ち着き」を見ることが出来るとするならば、それは全編に漂うそこはかとない寂寥感(SOLITUDEという表題にもそれが現れているが)くらいのものであろう。
とはいえ、音作りは過ぎし日の大江千里とはかなり違ってきている。清水信之の手になるような、90年代初頭ポップのきらびやかさは影をひそめ、エッジの効いたバンドサウンドに終始している。特にM3の「DOG'S LIFE」などは、そうしたバンドの一体感と大江千里流の躍動感とが、とてもうまくいっている。大江の歌い方は、チャートの表舞台から姿を消しつつあるときから少しづつ変化し、無理して野太い声を出すような手法から、温かみのあるハスキーボイスへと変化していった。初期のアルバムで聴く事のできる声質にすこし近い感じである。その声と生のバンドサウンドは埋もれることなく調和している。恋愛の、そして生活の一こまをたくみに切り取ってみせる詞は相変わらずである。自らの生活を振り返って、似たようなシーンに思い当たる。
このアルバムでの大江千里はしかし、終始うつむき加減であるような気もする。先に書いたそこはかとない寂寥感というやつの仕業だと思うが、往年の、「手に届きそうな理想の恋愛」を王子様的ルックスで歌い上げた彼からの移行は、しかしとても綺麗に、サマになっていると思う。押し付けがましい、演出のオトナ感ではない。大江千里というシンガーの移り変わりを自然に感じることが出来る。僕はもうすこし、また彼の唄を聴きつづけようと思った。
ぶんせきは
KENTARO