| 【メーカー】不明 【推定施工年】1930年
 【記録した場所】東京都文京区 元町公園
 【記録した人】酉
 【種別コンクリート製〜通常型〜富士型、中型
 
  
 関東大震災後、震災復興事業として近代的的な都市計画に基づき、東京において本格的な都市公園の整備が行われた。都市における緑地の整備、休息地・児童の遊び場の確保などを
目的として、52の小公園が造られた。
 震災復興公園と呼ばれるこれらの公園を雛型に、やがて、全国の都市、宅地内にも同様の公園が作られていく。
 つまり、現在の街区公園・児童公園の原型がこの時生まれたと言える。
 
 52あった震災復興公園は、姿・形を変え現在も多くが残されている。しかし、造園当初の面影を残す公園は、ごくわずかで、最も色濃く残るのが、当物件のある元町公園である。
 1982年に大掛かりな改修が行われているとのことだが、造園当時隆盛を誇った分離派様式を残すべく、丁寧な仕事が行われたという。
 
 公園の歴史、建築様式等書かねばならない事は山ほどあるが、当サイトは滑り台特化サイトなので、このへんで切り上げ、滑り台についてのみ触れる。
 震災復興公園は震災復興小学校とセットにする形で多くがつくられたのだが、震災復興小学校といえば、日本におけるモダニズムの先駆けともいえる分離派、ドイツ表現様式である。
 数多くの小学校の校舎が、パラボラアーチ等、当時のデザインエッセンスにあふれており、ごく一部の好き者達を歓喜させているのだが、この物件からも分離派臭がプンプンするのである。
 例えば、デッキ上部のコンクリート柵に開けられた穴の形など、パラボラアーチそのものではないだろうか。全体のシルエットなども公園に合わせ、品良くデザインされた佳品だと思った。
 
 遊具としても、「一応」現役と言って良い。安全基準を満たすかどうか、定期的に点検が行われているようである。
 しかし、人研ぎ台の命とも言える滑り面が、洗い出し仕上げのように荒れており、残念ながらあまり滑りが良いとは言えない状態にある。
 
 今回(&519番、520番)の物件・及び知識については、以下のサイトで勉強させていただきました。興味深いです。
 震災復興公園については、いずれ自分でもきちんと調べ、特集を組みたいと考えています。
 
 公園記念物の探求>震災復興52小公園
 分離派建築博物館>復興教育施設と小公園
 社団法人土木学会>デジタルアーカイブス>震災復興公園関係写真
 
 
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